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少し旧聞だが、なださんのブログ。
http://green.ap.teacup.com/meiget51/27.html
>ある意味では、すべての老人が怒ったので、怒れる老人を代表していた老人党とのコントラストが薄れてしまった。
おいおい。
老人党は確かに怒っていたかもしれないが、それはまったくの私憤であり、公憤や義憤の類ではない。老人党員が怒っていたことは、まったく何も自慢にならない。社会悪に対する公憤や義憤は立派なことかもしれないが、ただの私憤に他人を巻き込むことはただただ恥ずかしいだけだ。しかも、それはただの私憤と言うよりは「逆恨み」や「逆ギレ」の類であり、よりみっともない所業であるのに。
まして、あんなものが、「怒れる老人の代表」などであっていいはずがない。特殊の上に特殊を極めた老人党員に、勝手に他の老人の代表ヅラをする資格などない。私憤が、公憤や義憤を代表できるわけはない。
なだいなだともあろう人が、老人党がどれほどぐだぐだな存在か、いまだに目をつぶり続けているのか。
私は変わらぬなだいなだファンだが、老人党に関するなださんの認識の甘さにはほとほと呆れる。この点に関しては、私はまったくなだいなだファンではなくなるといってもいい。
私が憧れたなだいなだはどこに行ったのか。ただの願望と言う名の色眼鏡で世の中をばら色に染めるのではなく、厳しい現実を直視しつつそれでも希望を失わない強さを説いたなだいなだはいずくにあるのか。「進行したがんを見てこんなものは簡単に治るなどという医者のどこがオプチミストなのか。それはただのアホウというものだ」とはっきりいえる強さを持った人であるからこそ、私はなだいなだファンなのだが、それを説いたなだいなだはもういないのか。
ただの希望的観測でしかものを語れなくなったなだいなだなど、なだいなだではない。
なだいなだよ、いずくにある。
#ちなみに、この書き込みのタイトルは、うちのダウンロードコーナーにも掲載している「兆民居士安くにかある」からとった。この文章は、北村透谷が、当時民権運動を始め政治運動から離れ、実業界で下手な商売に手を染めては失敗を繰り返していた中江兆民を嘆く意味で書いたものだ。北村透谷は、もちろん兆民を嫌ってこんな文章を書いたのではない。兆民を心から尊敬しているからこそ、兆民がどんどん堕ちていき、せっかく世の中に貢献すべき才能をあたら無駄遣いしていることを嘆いていたのだ。兆民の才を心から惜しみ、往年の兆民の復活を心から望んでいたからこそこんな文章を書いたのだ。
この書き込みも同様。かつてのなだいなだの思想を心から尊敬しているからこその苦言であり、したがって、世の中には一定数いるであろうアンチなだファンに利用されることは断固として拒否することを明言しておく。
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