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Re: 信じぬ者は救われる

 投稿者:竜野 天馬@管理人  投稿日:2008年 6月 8日(日)23時01分6秒 tetkyo009194.tkyo.te.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp
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  > No.3835[元記事へ]

続きです。

P.151
<菊池>あることに賛同する人は、その他の問題でも同意見でなければならないというような思いがある。市民運動には、昔からそれがある。
<香山>だから、護憲の人は無農薬野菜を食べる、みたいにライフスタイルまで規定されている感じがありますよね。(中略)
<菊池>それこそ何の関係もないのに、イラク戦争に反対する人は原発にも反対しなければいけないみたいに、そういう感じがあるじゃないですか。それはものすごく不寛容で、多様性を認めないわけですよね。

うんうん、老人党の人たちって本当にそうだよなあ、と思う。
私は、護憲派だしイラク戦争にも反対だが、一方で別に無農薬野菜にはこだわらないし、原発に反対でもない。彼らにかかったら、私が無農薬野菜へのこだわりがなかったり原発に反対でなかったりするだけで、「竜野天馬は護憲派じゃない」とか言い出しそうだ。
というか、「それこそ何の関係もないのに」というような理由で、「竜野天馬はウヨクの手先」みたいに決め付けられたことは実際何度もある。ひどいときなんざ、「獅子身中の虫」という成句を使ったと言うだけで「創価学会員」と決め付けられたことだってあるしねえ。
ホント、いったい何の関係があるんだか。
「○分の一老人党」という、「老人党宣言」の中で掲げられた概念が彼らにはとうとう理解できなかった理由は、こういうところにあるんではないか。
「護憲派の言うことのうち、無農薬野菜へのこだわりは賛成しないが、九条を守るという点では酸性だ」というような人たちを認めないというのと根っこは一緒だよなあ。

私は過去何度も老人党を「カルト教団」だと認定してきたけれど、市民運動のそういうカルトじみた側面についても触れられています。

P.152
<香山>護憲派の人たちだって、私はもっと流動性があってもいいと思うんです。たとえば改憲から護憲に来る人もいればいいと思うし、護憲から逆にやはり私は改憲じゃないかなと思って去る人、もっと出入りがあってもいいような気がするんです。だけどいま、護憲といったん判をついたら、ずっと足抜けは許さんぞみたいな雰囲気があるんですよね。あれがそもそも不健康な気がするんです。
<菊池>宗教っぽい要素があって、護憲も改憲も宗教に入信する感じじゃないですか。

珠氏だとかの護憲論はまさしく護憲と言う名の「教義」だし、教義に逆らうものは無条件で悪ってことになっちまうんですよね。もちろん、珠氏に限りませんけど。
足抜けを許さないってのもそのとおりだ。とっくに老人党離党を宣言しているキタキツネさんを、いつまでも老人党員扱いし続けてましたしね。それでも無理に抜けようとすると、徹底的な制裁を加えずにはおかないというのだから恐ろしいもんです。

さらには、こんな記述もある。
P.152
<香山>宗教なのかな。私の印象としては、任侠の集団みたいな感じがあります。「舎弟になる」といった。
<菊池>杯を交わさなきゃだめって感じですか。いずれにしても、全肯定しなきゃいけないという感じがある。こっちだったら全部こっち、あっちは全部だめというような。

うっわー(笑)
これ、まんま「ウミ氏とその取り巻きたち」のことだよなあ(笑)
昔氏だのメルメル氏だの、厚顔氏だの中井氏だの、まさにチンピラヤクザ並みで、忠誠を誓った親分・兄貴分のウミ氏のことは一から十まで絶対で、アニキに楯突くやつはいくらどつこうが蹴たぐろうがかまわんと思ってる連中。ホント、ウミ氏と杯を交わして舎弟になって尻尾振ってる連中って感じですなあ。まあ、メルメル氏は新党立ち上げからこっち、やや距離を置いてるのだろうけど。
「杯を交わさなきゃだめ」って言葉で思い出したけど、ウミ氏は私が一度だけ会ったとき、酒で懐柔しようとしたんだよなあ。あれも、こっちを「舎弟」にするつもりだったか?
あいにく、私は相手がなだいなだその人であろうが舎弟になんぞなる気はないので、ウミ氏ごときと杯を交わして舎弟になるつもりなんかまったくないんだけど。

Ray氏や珠氏などのトンデモ管理人たちにはこんな言葉。

P.152
<菊池>ちょっとずれるかもしれないんですけど、議論って嫌われるじゃないですか。批判とけんかの区別がつかないという人たちがたくさんいて。ある主張に対して批判するときだったら、どれほど強い口調で批判しても、それはべつに人格攻撃をしているわけじゃないということがいくらでもある。だけど、そうじゃなくて、ある主義・主張に賛成する人は身も心も捧げなきゃいけない感じがありますよね。そうすると、批判がイコール人格攻撃になる。
<香山>それはそうですね。でも、私なんかすぐ、安倍さんにだっていいところがあるかもしれないとか何とか言っちゃったりするから、中途半端だとか言われ、逆に批判されちゃう。

「批判とけんかの区別がつかない」「批判イコール人格攻撃」って、ホント、Ray氏や珠氏にぴったりの言葉だよなあ。私は過去何度かRay氏に「攻撃的」呼ばわりされてます。もちろん、私自身が実際に攻撃的であればそれはそれで批判として受け止めなくちゃいけないんだけど、Ray氏の場合は明らかに「批判と人格攻撃の区別がついてない」ための「攻撃的呼ばわり」に過ぎないんですな。なんせ、私がそのとき批判してたのがあの昔氏の罵詈雑言だったんですが、あろうことか「同罪」として「両成敗」になっちゃったくらいです。
ホント、あの昔氏のただの罵倒と、こっちの批判の区別もつけられずして両成敗なんてオチにするしか方法を知らないんだから、彼女が批判とけんかの区別がついてないのは間違いない。
珠氏にしても同様で、「温かい心から出た批判なら受け入れます」とか言いながら、結局は批判と言う批判をすべて「冷たい心で、高みから見下している」としか受け取れない人ですから。「温かい心」云々は、所詮は自分が批判を受け入れられない人間であることを糊塗するだけのことだったんですよ。この辺、こないだのpeace氏によるチベット問題での老人党批判に対する、珠氏の反応を見てれば如実に分かります。

もちろん、批判とけんかの区別がついてないのは珠氏らトンデモ管理人だけでなく、だけでないどころかトンデモ投稿者たちはさらに輪をかけています。「ある主義・主張に賛同する人は身も心も捧げなきゃいけない」という発想でもってウミ氏あたりのトンデモ煽動者にのっかり、乗っかったからには一切の批判は封じ込めて、身も心も捧げつくすしか知らないんですから。
老人党に代表されるトンデモサヨク系市民運動は、胡散臭さにおいて、オカルトにはまる人たちと同レベルだってのが、この本を読むとさらに実感できます。


なださんも、香山氏などのこういう見方に対してもうちょっと耳を傾けてくれてればあなあと思うんですけどね。香山氏はなださんのだいぶ後輩に当たる精神科医ですが、なださんと共著書もあり、交流がまったくないわけはないんですが。
てか、かつてはなださんも、こういった市民運動の胡散臭さを批判する文章をいくつかの著書で書いていたんだけどなあ。なんで自分でかつて批判したものとそっくり同じことを再現しようとしちゃったんだろう。
 
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